ゲーム機と私:第5章 1996年9月〜1997年3月

 では、この前の続きを。
 1996年9月、ゲームに現を抜かす場合じゃありませんでした。修了論文のための実験をしたのですが、失敗。失敗というよりも、準備不足でした。今までサボっていたツケが廻ってきました。途方にくれていたら10月になってしまい、めったに怒らない教授から”修了できなくても知らん。”と言われ(かなりのショックを受け)、そこから修論地獄が始まりました。理論の構築、実験方法と準備に明け暮れて12月にもう一回実験しました。それでも実験が上手くいかず、翌年1月中旬に実験し何とか2月の修論発表に間に合いました。が、後で計算ミスがわかり、3月の学会発表(修了式の10日くらい前)に向けて再びあせり、、、
、、、、、、という感じで社会人になる直前までにバタバタしてしまいました。
 こんな感じで、ゲームなんてやっている場合じゃなかったのですが、そこそこ楽しんでいました。ファイターズメガミックスとか、デイトナUSAサーキットエディション(自分が初めてコンビニで買ったゲームでした)とか、、、、
この当時、PSのFF7が話題でしたが、自分は全く知らず。しかし、これでもう、サターンの負けが決まっちゃったんだよなぁ、、、、、

 修士論文でバタバタした学生生活最後の半年。3月の学会発表後、教授から言われたことは、”君は何をやるにも準備が足りない。準備期間が少なくても上手くできる人がいるが、君はそうではない。そこのところを今後気をつけるように。”と、ありがたい言葉を頂きましたが、それを今もしっかりとやっているかと言われると、、、、出来ていないな、、、、

 この当時から、自分は目先の興味に心を動かされ、後先考えない行動をしてしまい、後で慌てふためく、、、、そんな人間になっておりました。今もそんな感じです。その当時お世話になった研究室の教授、先輩、同輩、後輩その他いろいろお世話になった方々に対し、当時から何も成長していない自分が恥ずかしい、、、まぁ、ちょっとは成長しているとは思いたいですが、、、、

 次回(6月15日)は、こんな学生だった自分が社会人になってからの半年について書いていこうと思います。

オヤスミナサイ。