<”ゲーム機と私”第4章:1996年7、8月>

 1996年前半、大学院2年生の自分は就職活動玉砕でした。その落ち込んだまま迎えた7月、当時まだ自由応募していたセガナムコを受けました。
 セガについては、7月下旬にあった適正試験に受かった後、8月下旬にあった面接試験を受けました。”試験後、1週間連絡がなかったら落ちたと思ってください
。”と言われ、1週間待ちましたが、音沙汰なし。見事に落ちました。
 ナムコについては、7月中旬にあった説明会、その1or2週間後に受けた適正試験を受け、いざ1次試験へ、、、、、というところでしたが、とある理由で断念しました。
 実は、平行して受けた大学推薦枠のほうに、8月初旬、内定が出てしまったのです!!(もう、いまなら時効だよね?)
それが今勤めている会社なのですが、、、、、、
 就職担当の教授に、”とりあえず、ここ(今、自分が勤めている会社)受けてみる?それで駄目なら、まだこの会社(とある時と元のソフトメーカー)の募集枠まだ余っているし、、、、”と、かなり同情を受けながら、某株式会社(いま勤めている会社、以後、”某社”と書きます)を受けることになりました。
 実際、この某社、本来ならもう募集は締め切っているが、国公立大学からの推薦と言うことで、”とりあえず、試験を受けさせてやる”=”来年への顔つなぎ”的な面接試験でした。なので、”どうせ落ちるだろう。次の会社どこにしたらいいかな、、、”みたいなことを考えて1次試験を受けたら、何故か受かってしまい、そのまま2次試験も受かって、、、採用となりました。
 なぜ、この当時、いろいろな会社を落ちまくった自分が、この某社だけ受かったのか、、、、それは、入社後わかりました。それは、1997年のことを書くときに記させていただきます。
 で、この当時、1996年7、8月やっていたゲームと言えば、セガサターンの不朽の名作”ナイツ”!!ソニック中裕司氏が作ったことで話題だったこの作品、ファンタジックなグラフィックとサウンド、自由自在に飛び回るナイツの操作性、中さんってすごい、と思った、今でも好きなゲームの一つです。でも、マルコンでなくて普通のコントロールパッドだったので、ちと手が痛かった、、、

でも、それよりも痛い天罰が、1996年9月に下りました、、、、
それは、次回、6月11日に書きます。

それではオヤスミナサイ。