飯野賢治よ、永遠に!!disk3

<15:05、体重87.6kg>
 まずはjurianoさん、コメントありがとうございます。サタマガ(セガサターンマガジン)、家の中にあるバックナンバー探してみます。
 昨日の続き、飯野賢治さんに関する思い出の続き、1998年からです。
<1998年>
 5月にドリームキャスト(以後ドリキャスと書きます)の発表がセガからありました。その発表直前に発売されたサタマガの裏表紙でD2の広告がありました。そのときはどのハードウェアで出すかは伏字(★マーク)でしたが、ドリキャス発表3日後にDの食卓2の発表がありました。もうセガのセカンドパーティでした。
うー、1998年はあまり書くことなかったなぁ、、、、思い出せないだけ?!
<1999年>
 この年の2月頃だったと思います、Dの食卓2が年内発売に決まったのが。同じタイミングでドリキャス版のリアルサウンド風のリグレット」が発売されました。このソフトの初回特典として"Dの食卓2体験版"が入っていました。当然私は買いました、D2体験版欲しさに。それに”絵付き”の風のリグレットを遊ぶために。絵と言ってもイメージの風景写真が次々と出てくるだけでしたが、良い感じで表示されていました。

リアルサウンド風のリグレット

リアルサウンド風のリグレット

 サターン版と比べての違いは"絵付き"になったこと、ディスク2枚組になって遊びやすくなったこと、そしてドリキャスの"ぷるぷるパック(振動機能)"対応になったことです。
このプルプルパック対応がなかなか面白かったです。あのシーンであんな感じでプルっと振動したのは、飯野さんらしくて洒落ていました。
どのシーンで?それは遊んでのお楽しみ、、、
って、今じゃこのソフトとドリキャスハード持っていないと遊べませんが(自分は持っています)。
セガさん、復刻してくれー!!
 さて、D2が年内発売ということが決まり、それまでに飯野作品"エネミーゼロ"、"Dの食卓"を遊んでクリア―しておこうと思いました。
<<エネミー・ゼロ>>
 1997年1月に買ったものの2年以上遊んでいなかったです。理由は、難しかったから。見えない敵を撃つということもそうですが、セーブ回数に制約がありました。なので、どうするか迷った挙句、サタコレ版を買いました。サタコレ版はお買い得ということだけでなく、スペシャルEASYモードが搭載されていました。
エネミー・ゼロ サタコレシリーズ

エネミー・ゼロ サタコレシリーズ

敵の数も少なく、セーブ回数の制約も無し。これに、困った時の攻略本も備えて遊び、何とかクリアしました。宇宙船という閉ざされた空間の中でのサバイバル、面白かったです。しかし、それだけに終わらないのが飯野流。このゲームのテーマは、"デジタルの悲しみ"です。もう一つのテーマ、いや、このゲームで元々飯野さんが言おうとしていたのが”我思う、ゆえに我在り”。この物語野途中、ローラは自分の正体に気付かされます。その正体から察するに”何故生き延びようとするのか”疑問を持つはずです。しかし、ローラは生き延びようとするのです。それは”我思う、ゆえに我在り”だからです。飯野さんが中学時代に出会った哲学者デカルトの有名な言葉、それをこういう形でゲームにしてしまうところがカッコイイ!!
<<Dの食卓>>
 Dの食卓はPS版(廉価版)で遊びました。
Dの食卓 COMPLETE GRAPHICS PlayStation the Best

Dの食卓 COMPLETE GRAPHICS PlayStation the Best

この頃になると、サターンだプレイステーションだということは気にしておらず、ただ単にコンプリートグラフィックスなPS版を遊びたくなったのでそちらを選びました。2時間以内に解かないとゲームオーバーということで、妙な緊迫感がありました。ムービーだけで繋いでいくかと思いきや、突然のボタン早押しイベント(いまでいうところのクイックタイムイベント:QTE)、あそこでかなり苦労しました。1回目のプレイでは2時間以内のクリアは出来ませんでした。ここでも攻略本のお世話になりました。また、セーブデータに関してちょっとインチキしてリトライしやすくしてなんとか2回目でクリアしました。これも独特の緊張感があって楽しめました。マルチメディア黎明期、このDの食卓が"ホラーゲームはビジネスになる"ということを証明した、そんなことを何かの雑誌で読んだことがあります。確かに、それは納得。
<<Dの食卓2>>
 そしていよいよDの食卓2
Dの食卓2

Dの食卓2

12月23日、発売日に秋葉原の老舗ショップ、メッセサンオーで飯野さんが直接販売するイベントがありました。当時東京に住んでいた私は、朝早く出かけて並びました。8時くらいに着きましたが、既に40人くらい並んでいました。並んでいたら、飯野賢治さんがスタッフを連れて目の前を歩いていました。
"おお、飯野賢治!!"心の中で叫びました、ちょっと嬉しくなりました。その30分後くらいだったと思います、並んでいる人達にカイロが配られました。飯野さんの粋な計らいでした。発売開始前に飯野さんからちょっとした挨拶がありました。”ヴァルキリー・プロファイルとかシェンムーとか発売されて(遊ぶのに)忙しいだろうけど、Dの食卓2もよろしく。”みたいなこと言ってたっけ。
 いよいよ発売開始。たしか縦長の細い段ボールにソフトとポスターとオルゴールが入っていました。それを会計を済ませた一人一人に手渡しして握手という流れ。私も会計後、飯野さんと握手して商品をもらいました。ヤッホー!!って感じで有頂天だったですよ。
 それから家に戻ってゲーム開始。先月たまたまD2を遊んでいたので覚えています。飛行機墜落した冬の雪山でのサバイバルホラーアクション、銃を撃ちまくるところが意外と気分爽快でした。所々に出てくるボスキャラも奇妙でした。中には表現の規制を皮肉ったボスキャラもいました。また、イベントシーンで出演する個性的なキャラクター達の台詞が実に多く、独特の言い回しが飯野さんらしかったです(いろいろ言いたいことが溜まっていたのかもしれません)。さらには食糧補給のために野ウサギや鹿(カリブーだったけ)をハンティングしたり、いろいろ寄り道(?)も楽しめました。
 このゲームで一番驚いたのが、エンディング。人類が抱えている問題に対するさまざまな統計データが出てきます。1999年発売のゲームなので1998年のデータが多いです。もし、このエンディングを昨年、つまり2012年と比較したらどうなるのか、、、、考えただけでもちょっと怖かったです。
このゲームのテーマは"人類はいろいろな問題を抱えているけど、それに対して逃げずに生きろ"ということなのかもしれません(一部を自分のブログ、今年の1月23日から転用しました)。
 このエンディングを見た後、”もう飯野さんは大作ゲームを作らないのではないか。現実を相手に何かをしていくのではないか。”私はそう思いました。それはある意味当たりました。この後、ゲーム業界にはあまり姿を出さなくなりました。
<2000〜2013年>
 断片的な記憶ですが、ゲーム以外の分野で活動されていたようです。朝日新聞で10代の少年少女の相談に答えたり、2003年くらいに夫婦でNHKの番組に出演していたりしていました。
 2006年くらいに飯野さんが今何をしているかふと気になって検索してブログを見つけたら、セニョール・ココナッツYMOカバーアルバムを紹介していました。
プレイズYMO(初回限定生産)

プレイズYMO(初回限定生産)

飯野さんが絶賛していた(はず)なので、私も購入しました。これマジで良い感じのラテンなYMOカバーアルバムです。
それからWiiウェアiPhoneでゲームを出したのは知っていたのですが、あまり興味が無かったです。また、2012年に東日本大震災後にブログで書いたものをまとめた本を購入はしましたが、まだ読んでませんでした。
それよりも、2012年のマヤ暦の人類滅亡を信じて、やっておきたいことをやっておこうと思い、Dの食卓2を昨年末から今年1月にかけて遊んでいました。
そして2月21日の帰宅後、飯野さんが亡くなられたことをyahoo!ニュースで知りました。
本当に神のいたずらにしてはひど過ぎる。
ご冥福をお祈りいたします。
(すくなくとも、自分の心の中では、飯野さんまだまだ生きています!!)