ゲーム機と私 第13章(1999年10月、11月)

 1999年の10月、東京にある関連会社に出向となりました。一応、業務遂行の目的です。今までいた母体である親会社から、正体不明(と思われている)関連会社への出向、、、、普通ならリストラ的な要素もあるのですが、自分的には”アキバに行ける!!”ということで、楽観的でした。
 この頃夢中になっていたソフトを挙げると、ウイニングイレブン4(WE4)。
 WE4については、翌年のシドニー五輪出場のために頑張っていた当時のU−22日本代表の影響と、当時のファミ通のTOP30で常にランクインしていたロングセラー性=定評のあるソフトだろう、とにらんで購入。初めのころは全然勝てないし操作も難しそうで”訳わからん!!”状態でした。その頃サッカーゲームといえばサターンのビクトリーゴールシリーズしかやったことのなかった自分には、非常にストレスのたまるゲームでした。しかし、ロングセラーになるからには訳があるはず。せめて1勝、もしくは1ゴール挙げるまで精進せねば、、、、と思い、とにかくパスでボールをつなげ、負けを重ねながらも戦い続けました。
 すると、あるとき、自分の操作キャラ(FW)が、惜しいシュートを打ちました。”くそー!!”、このとき、このゲームの面白さを少しずつ理解し始めていました。”サッカーってそんな簡単に点の入るスポーツじゃないよな、、、”、そうです、このゲームの面白さの一つは、”(このゲームで)練習や経験を重ねないと、点が取れない”ということです。逆に言えば、ある程度経験を積むと、一見複雑なコントローラ上のボタン操作が、納得のいく操作システムになっていることに気づくのです。そこからは、もうひたすら点を取って勝つまでひたすら戦い続けました。そのうちにボタン操作も慣れ、点を取り勝ち出すようになると、もう、サターンのビクトリーゴールには戻れませんでした。
 さらに、このWE4では、U−22モードがあり、この日本代表がまたとても強くて、、、、気分が良かったです。俊輔の浮きスルーパスに平瀬が反応して点数を稼いだのをよく覚えています。そうそう、このゲームを通して、スルーパスの醍醐味を味わうことが出来たのでした。今までこのサイトで、プレイステーション(PS)のすごさをグランツーリスモメタルギアソリッドで痛感した、と書きましたが、ウイニングイレブン4を入れ忘れてました。
今日のウイニングイレブン最新作を自分が楽しめるのは、この頃からの下積み時代(?)があればこそ、、、、、って、その分、遊んでいるだけジャン!!

 すいませんが、このコーナーの次回は7月30日(土)にします。ちょっと立て込んでまして、、、、

おやすみんさい。