ゲーム機と私、第11章(1998年10月〜1999年3月)

 この頃は、9月〜11月にかけてメタルギアソリッドを楽しんでおりました。この頃の大きな出来事と言えば、そう、1998年11月27日にセガからドリームキャストが発売されました。しかし、初回出荷数が10万ちょっとなため、入手困難との話があり、”後で買えばいいや”と思っていたので、無理に発売日当日に急いで買うようなことはしませんでした。そもそも、このときの初回出荷数が少なかった原因は、当時NECが防衛庁裏帳簿ソフトの件でNEC社内がゴタゴタしていたせいでドリキャスのグラフィックチップであるPowerVR2の生産が遅れたからだ、と聞いております。僕はこのときからNEC製品は買っていない(はず)し、今後も買うつもりはありません。ドリキャスのスタートダッシュを躓かせたんですから、、、、
 で、この当時、自分は翌年の6月頃にドリキャスを買う予定でいたのですが、この年の12月下旬にアキバをウロチョロしていたら、”ドリキャスあります”の手持ち看板や店員の掛け声があり、、、、結局買ってしまいました。ドリキャスビジュアルメモリバーチャファイター3tbで合計¥40000円(税込、、、一応5円お得でした?)。当時、ドリキャス本体だけを買う怪しい外国人が多かったため、暗黙の了解的に、このような形で売られておりました。このあと別の店でペンペントライアイスロンやアーケードスティックなどを買って、家に帰って遊びました。
 最初に遊んだのは、バーチャファイター3tb。サターン、PS,Nintendo64とは別格の映像のクオリティ(当時)に、”やっぱすごいぜ、ドリキャス!!”と驚きつつもついつい夢中になって夜の12時から朝の4時まで遊んでいた覚えがあります。おまけについていたシェンムー(当時はプロジェクトバークリーというコードネーム)の映像ディスクも、ドリキャスの可能性を見せてくれるものでした。
 次の日に遊んだペンペントライアイスロンは、コミカルなキャラによるレースゲームで、それなりに楽しめました。あのキャラは今何処?
 翌年、つまり1999年には1月にソニックアドベンチャーセガラリー2と買いましたが、セガラリー2のほうに夢中になっていました。なぜなら、サターンでセガラリーを極めた(はず)の自分が、その続編でなかなか1位になれず、、、、、ついつい熱くなって走っていました、、、、、が、それでも何故か、いまだに1位になれず、、、、、久々に引っ張り出すか?!
 セガラリー2で思い出すことと言えば、、、、、
時々画像のコマ落ちがあるにもかかわらず、操作性に影響が出ない、という、映像系の負荷が操作系に影響しないプログラミングでした。それが摩訶不思議な感じでした。また、走行データをいくつかセーブしていると、すぐにビジュアルメモリが満杯になってしまいました。てっきりサターンよりも記憶容量が大きいとおもっていたのですが、実際はサターンより少ない。奇妙な設計をしているハードウェアだな、と思いました。
 こんな感じのゲーム三昧の毎日を迎えていたかと言うと、、、、仕事のほうはと言えば、、、、、この頃、今でも思い出すと気分が悪くなる、変なクソブタ上司のもと、毎日何かにつけて怒られケチつけられ、仕事やOJTでへまをすると罰ゲームと証して、精神的にも金銭的にも負荷のかかる罰(ここではその内容を書けませんが)をさせられて、かなりマイッっていた時期でした。他の上司もそのクソブタ側についており、自分がいじめられているのを楽しんでおり、、、、ああ、やだやだ、もう思い出したくないので、今日はこの辺で止めます。
 次回の”ゲーム機と私”は、7月9日(土)掲載予定です。