ゲーム機と私<第2章:1995年後半>

 これを書いている時間は、実際は29日の午前1時頃ですが、、、、
それでは、ゲーム機と私の第2章、1995年の後半です。
この頃、サターンもPSも100万台を超え、社会的認知度が上がってきました。この年後半のセガマニアの話題といえば、”年末にサターンでバーチャファイター2が出るが、サターンでどこまで移植ができるのか?”ということだったと思います。サターンマガジン(現在のドリマガ)やインターネットで関連記事が出るたびに一喜一憂していたのを覚えています。で、結果はセガ派の方はご存知のとおりセガ唯一の国内ミリオンセラーとなるほど売れました。一部背景の省略、効果音がたまに出なかったりしたことがありましたが、ゲーム性に関しては文句なしの出来(一部のコアなゲーマーを除く)。何だかんだ言って、今たまに引っ張り出してやっても十分楽しめます。去年、PS2で完全移植の名の下にバーチャファイター2がでました。確かに完全移植なのですが、サターン版にあった、家庭ゲーム機用ならではのモードやおまけが全くなかったので、なんか素っ気無いなあ、って感じだったので、やっぱ、この頃のセガのほうがいろいろな意味で力入っていたんだよなぁ、、、、、
 でも、正直言って格闘ゲームは得意じゃなく、どちらかというと、その頃前後して発売されたバーチャコップセガラリーのほうを遊んでおりました。バーチャコップはほぼ完全移植だった、と思います。バーチャガンをもってて腕が疲れたり、トリガー時のフラッシュで目が疲れましたが、かなり夢中になって遊びました。
 それにセガラリーデイトナU.S.A.での背景足らず&画面カクカクという問題点が改善されていて、操作性も問題なし。それに、リプレイ時のカメラワークもなかなか良く、自分の走りに見入ったり、ゴーストカーと対決したり、これも相当遊びつくしました。
 この3つの作品を見て、遊んで”やっぱセガはすごい!!”なんて思っちゃっていました。まさに、この3作品のおかげで、1995年の年末商戦はセガにとって一番盛り上がっていた、そして唯一勝ち組気分を味わえたのでした。
 で、この頃の自分は、大学の研究室に出入りしていた割には、ちっとも研究を進めなくて、、、、翌年痛い目に逢うんだよなぁ、、、、、
でも、こんな自分だったから、セガに入社したい!!就職活動はゲームメーカー主体!!なんて欲望を持ってしまうんですな、、、、
その辺のことはおそらく次回or次々回に出てきます。
それではオヤスミナサイ。